【バンド・メンバー名】(旧姓:敬称略・順不同)

第1期 
・ジン.ライムズ:鈴木 孝三、尾作 晴夫、村本 和博 

第2期 
・パードリックス:小林 正明、安藤 勉 、今 正子 、風山 栄雄(早稲田大学)、望月峰登志(Gt)、中村 新一(Dr)

第3期 
・ライムライツ:望月峰登志、石河 正、藤川 良一、中村 新一、金森 恵子
・リマリックス:渡辺 潤二、葉山 康一、小栗 良通、笹本 隆
・ハニーズ:齋藤 正男、湯浅 起市郎 、藤川 良一、横山みどり

     

第4期 
・クリッパーズ:加藤 正則、藤間 文夫、工藤 一博、秦 真一、村田 哲士、秦 裕司(Dr)
・アクアグリーン:龍 昇、森田 博隆、伊藤 洋光

第5期 
・白い馬:片峰 雄志、伊東 久寿、多藝 克彦、照井 俊之介、矢木 正治、文 良子、倉田 行雄(Dr)、池田 一久(Dr)、高橋 美晴(Ky)
・赤とんぼ:小山 正良、星子 誠一、関谷 良夫、野田 温
・ニュー・フォーク・エレメンツ:坂田 英夫 、細川 芳弘、後藤 仁 、江川 恵語
・オーギュメンツ:伊東 久寿、高橋 信博、宮本 仁也、大原 幸男、倉橋 義裕(Dr)
・みち:齋藤 隆子、福沢 寿美、滝 悦代

第6期 
・ライムライツJr.:山田 徹、吉浦 正幸、高木 恭子
・アクアグリーンJr.:小田 恭介、風間 秀一、倉橋 義裕
・天地無用:南雲 和義、高橋 浩一、湯沢 充孝
・カコフェニー:佐藤 玲子、鈴木 智子、時田 すみ江、松島 好江

第7期 
・Hi-De-Ho(ハイ-デー-ホー):岸 秀豊、池田 一久、林 千加男
・魑魅魍魎:高橋 邦夫、宇田川 敏夫、高林 俊夫、安田 典弘
・ハイム:高橋 美晴、新堂 順子、岡部 みな子、山内 良映

                              

補足
 1968年頃の大学は学生運動の真っ只中で、ストライキによるロックアウト(大学封鎖)のために授業は殆ど行われず休講が目立っていました。が、逆にバンド活動は盛んで学生達にとっては“いい時間の過ごし方“のような自由さがあったようです。
 和泉・神田・生田の各支部では、短大女子も含めてさまざまなバンドが結成され、現在記録に残っているだけで第1期から第8期までで個人活動を含めて43組が日々、練習で腕を磨き、中にはその名を世に知らしめるバンドも幾つか出てきました。
 この頃から“フォークソング”や“フォークロック”は、次の世代「ニューミュージック」へと変貌を遂げていく転換期となったようです。

                                2024年 秋 第7期 安田 典弘

【パードリックス】

元々は、明大生3人と早大生1人によるPP&Mのカバーバンドでした。
リーダーである早大生の風山宋雄氏のツテで、キングレコードからデビューすることとなりましたが、当時はパードリックスにオリジナル曲がありませんでした。
そこで小林正明氏より後輩バンドのライムライツメンバーであった石河 正氏自らが作詞作曲した『朝のこころ』を使いたいという打診があり、レコードデビュー曲へと話が進みました。

 収録には、第3期の望月峰登志氏がリードギター、同じく中村新一氏のドラムも加わり、男性5人と女性1人の6人編成のパードリックスとして1969年にキングレコードからデビューしました。当時“キャンパス ポップス曲”と呼ばれ、その夏は全国各地で公演を行ったようです。
「都会的なスマートさにプラスして野性的な雰囲気をもつグループで、これまで日本にはなかった幅の広い、非常に面白いグループになるのではないかという期待をされている」(レコードジャケットより抜粋)
 1970年、大学ロックアウト後に再開された『駿台祭』では我が同好会は大教室の会場を得て、“シングアウト”デビューを果たしました。その後の『和泉祭』でも大教室でバンド演奏を行うこととなります。

【昭和47年度芸術祭参加「日本民謡を唄うフォークの若者達」より】

(1)明治大学フォークソング同好会 “木曽節”
 
  「ギター」:石割 和夫(4年)・村田 哲士(4年)・高橋 信博(3年)・片峰 雄志(3年)・高橋 浩一(2年)
  「ベース」:野田 温(3年)
  「ドラムス」:倉橋 義裕(2年)
  「パーカッション」:倉田 行雄(2年)
  「コーラス」:明治大学フォークソング同好会部員 約30名