あらまし
この度、今年でこの同好会が創立して59周年を迎えるにあたり、過去の記憶が薄らぐ前に記録として今までの足跡を少しでも残そうと思い立ち、執筆した次第です。
いまもまだ現役の学生たちが活動してくれており、今年の1年生は第59期の所属生となります。
我が同好会は1966年に設立され、1968年に「関東学生フォークミュージック研究会連盟」が発足した当時からの参加校でした。多くの大学でフォークソンククラブが活動して以来、半世紀以上の年月が経過したいま振り返ると、初期の時代には“シングアウト”という演出方法が主流となっていたようです。
男性軍の何人かがギターを片手に曲を弾きながら皆でハモを熱唱し、ステージ狭しとダンスのパフォーマンスをしながら会場を盛り上げる。タンバリン担当の女性達がステージの袖でリズムを取りながら奏でる音は、より一層華やかな雰囲気を醸し出していました。
1960年代から1970年代にかけて、アメリカで広まった「キングストントリオ」や「ボブ・ディラン」をはじめとした、「カントリーミュージック」を中心に数々のバンド曲がヒットし、テレビやラジオ、音楽レコードなどの媒体を通じ日本にも普及していきました。当時、15歳から18歳にかけての日本の若者はアメリカンミュージックに魅せられ「フォークソングの曲を是非、自分達で歌い大きなステージで踊ってみたい」という熱い願望を誰もが抱きました。それが世間では当たり前のようになるとは、誰が想像し得たでしょうか。
1965年から1966年頃に発足した各大学初期の活動は、主に「PP&M」や「キングストントリオ」「ブラザーズ・フォー」といった“モダンフォーク”バンドのコピー演奏から始まったようです。
“音楽“とは「音を奏でる」そして「音を楽しむ」ということが基礎となっており、例えば、”JAZZ“はアフリカ民族の音楽が原点のようです。太鼓を叩き、手拍子を付けて声高らかに踊りながら歌う。楽器の“音”に体が自然と動き出し、高ぶる感情が入り混じって楽しむというスタイルが進化していきました。現在のようなSNSが発達していない1960年代後半の情報は、ラジオかテレビくらいで、レコード盤が普及するも、当時の若者達は深夜放送ラジオ番組を毎晩聴いていたに違いありません。その中でも「オールナイトニッポン」と「セイ!ヤング」が双璧といえるものでした。各パーソナリティの紹介で始まる音楽に皆、聴き入っていました。とりわけ衝撃的だったのは、
ザ・フォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」でした。若者の間でセンセーショナルな曲となったことは疑いの余地がなく、ラジオから流れてくる彼らの他の曲も含め、極めて斬新で前衛的であったと言えましょう。
ところで、我が『明治大学フォークソング同好会』の成り立ちを別ページの「同好会の沿革」でご紹介しています。当時の熱き若者達がいかに青春を謳歌してきたか、当時を想い浮かべながらご覧ください。
追記
『シングアウト』の成り立ちとは?
ステージ上で歌いながらの振り付け(パフォーマンス)は、当初、神奈川大学が始めたとの説があります。1969年(S43年)5月3日に日比谷野外音楽堂で「第1回フーテナニー」が開催された後に、NHKが同校と我が明治大学フォークソング同好会にも取材に来館したとのことです。その後、1969年(S43年)の秋に、NHKは“テスト版”として『ステージ101』を放映。本放送は翌年の1970年1月からでしたが、これが日本での“シングアウト”スタイルのはしりとなり、全国に広まっていきました。
最後に
この伝統ある同好会は、新型コロナ禍の時期を乗り越えて毎年「定期演奏会」を実施しています。昨年も長年使用している杉並区の“セシオン杉並”に於いて、1年生から3年生の61名による第55回目の定演を開催しました。他校では、当時から活躍したほとんどのクラブが廃部となった中で、我が同好会は発足当時の名称を残しつつ、今だに脈々と受け継いでくれていることに対して、感謝の念にたえません。
2024年 秋 第7期 安田 典弘